北海道胆振東部地震から4年

今年は8月から9月にかけて、慌ただしく過ごしています。

お仕事を立て続けに頂いている事が大きいのですが、その他にも、子どもの保育園行事が続いたり、8月はお盆だったこともあり、家族の用事も重なりました。

テレビはもちろんSNSもほったらかし。
辛うじて、大きなニュースだけはダイジェスト版を何かで見て把握しているという感じです。

でもやっぱり。
このニュースだけはじっと見てしまいます。
「9月6日、北海道胆振東部地震から4年となるこの日…」
そう、ここ千歳、わたしは胆振東部地震を経験しました。

9月6日の地震発生から8日まで、電気が使えない状態になりました。
ガスと水道が使えたのは幸いでした。
※集合住宅の方は水道は使えなかったと、後に聞きました。

自分用の車が無かったわたしは、抱っこひもで子どもを抱っこしながらお店を2~3つ見に行った記憶があります。
パンやおにぎり、葉物野菜、牛乳などの生鮮食品、お米はどこのお店にも無かったです。
電池やろうそくも、ありませんでした。
ガソリンスタンドに長蛇の列が出来ていました。

子ども連れ大きな災害を経験したのは、これが初めてでした。

普段でも抱っこ紐で子どもを連れながら移動するのはしんどいのですが、災害時はプラス緊張感で倍疲れた気がします。
しかも、お店に行っても欲しいものが買えなかったので、帰路はかなり疲れてしまっていました。

その買い物歩きの途中、80歳くらいのおばあちゃんと信号待ちで立ち話しました。

「戦争も経験したけどねぇ、この地震も大変だよねぇ。」
と、けっこう離れたところにあるスーパーに歩いて向かうとか。
年の割にはしゃきしゃきと歩いていくおばあちゃんを少し見送り、わたしもドラッグストアに向かいました。

わたしはこの数週間後、パートの職を得て働き始めました。
結婚&出産後、久々の社会復帰でした。
そこでこの地震の当時のことをいろいろ聞きました。

同じ千歳市内でも、電気が使えるようになった日が1日程度違う地域があったこと。
病院など、インフラがある地域は早く電気が復活したこと。
同じように不安を抱えていたママと、あの時どうやって過ごしていたかを話しました。

「会話」の力。
今まだ続いているコロナ禍でも感じますが、人と話すことは、大きな力なんだな…と思います。

ネット記事を読んでも、SNS閲覧でも、情報は得られます。
でも、お隣さんや普段から行っている子育て支援施設など、身近な人と交換する情報が何より強力だと感じます。

不安な時こそ話をしよう」。
地震の教訓として、コロナの教訓として。
子どもや身近な人に、伝えていきたいな、と思っています。

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